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田中と初めて出会ったのは・・・
高校を出て初めて会社の先輩に連れて行って貰ったお店でした。
アットホームなお好み焼き屋さんでした。
気にいって1人でもチョクチョク行くようになりました。
お店のママやお父さんとも仲良くなり、色んな事を話していました。
その内にお店に来るお客さんとも話をする様にもなりました。
その中で、何時も片隅で無口に余り会話にも入ってこない人がいました。
その人が田中でした。
そんな、ある日の事です。
山口さんとお店のお父さんがカラオケに行こうと云う話になりました。
男二人では面白くないから海苔Pも一緒に行こうと云う話に成っていきました。
お店のママも行ってらっしゃいと言うし、なので何時行くかと云う事になり今度の木曜日になりました。
その日も何時もの様にお店に行きました。
すると田中と山口さんが先に来ていて仲良く話していました。
取り敢えず私はお腹が空いていたので、いつものお好み焼きを注文して食べていました。
その内にお父さんも遣って来たので出発する事に知らない間に田中も行く事になっていました。
その内に田中や山口さんと3人で飲みに行くようになりました。
そして知らない内に田中と2人で週1のペースで飲みに行くようになりました。
その内に会う度に田中に飲みに誘われる様になりました。
それが嫌でお店には時間をずらして行ったりしていました。
知らない内に木曜日は田中と飲みに行く日になっていました。
私は田中と飲み行くのは好いのだけど、付き合っていると思われるのが嫌でした。
お店のママにその事を相談すると
「良いじゃない!田中さんの奢りでしょ~!」
「うん!」
「色んな所に連れて行って貰って、夜の社会勉強をしてきたらいいのよ!」
「だけど、私が振り回していると思われるのも嫌だな~!」
「田中さんに聞いたら海苔Pの事は子供みたいだて言っていたよ!」
その後、別の店では付き合っていて、その内に結婚する話になっていたようです。
この話は田中と飲みに行かなくなってから聞いた話です。
To be continued...
久しぶりにちょっと時間があったのと軍資金に余裕があったので遊んで来ました。
最近は余り無かったんですけど、本当に久しぶりドキドキしたちゃた。
余りにも興奮しちゃって、手は震えて汗はかくし、何回 手を拭いた事か?
うぅ~!恥ずかしいけど・・・
パンツも汗とウフフでビショビショで最後はクーラーのお陰で冷たくて困っちゃいました。
何で、そんなに興奮したかですよね!
パチンコですよ!
その当り方が尋常じゃなかったのです。
18連チャンで確変が確定して、なんと合計21連チャンしました。
甘デジでは無くて、普通台で4円パチンコですよ!
今、流行の1円パチンコでは無くて・・・
10連チャンした時は手が震えてました。
15連チャンの時は手の震えは止まってました。
それよりハンドルを持つ手が汗で滑るので大変でした。
18連チャンして、一旦 短時間に突入して落ち着いたら汗で濡れたパンツが冷たくて困りました。
久しぶりにパチンコで大興奮しちゃった。
この快感がまた堪んないだよね!
21連チャンで 96800円
投資額 15000円
差し引き 81800円 勝ちました!!
帰りに実家に行って、母と弟に1万円づつ、おこずかいをあげて来ました。
弟は今週末に社員旅行で韓国に行くので、その足しにとあげてきました。
弟は可愛そうに独身なのに、ずっと おこずかい制で月に3万円で頑張ってます。
ちょっとした自慢です。
最高金額は約18万円 勝った事があります。
勿論、投資額を差し引いてです。
連チャン回数なら
甘デジなら最高32連チャン
普通台の確変機能付きで最高26連チャン
昔の保留玉4個での連チャンは最高7連チャン
パチンコ歴は長いよ!
幼稚園の頃から行ってたからね!
中学・高校時代の6年間は行かなかったかな?
高校生の3年間は絶対に行って無いけど、中学生の時は行ってたかもしれない。
田中と飲みに行かなくなった話しですが・・・
私にしても周りにしても疑問で未だに謎なんですけど・・・
男としてプライドを傷つけたのかな~!と、思うけど・・・
この場合は、こうする以外に方法はなかったはずなのに・・・
田中と飲みに行くようになって半年が過ぎた頃の話かな?
約束の木曜日の2日前に母の父、私にとっては祖父なのですが・・・
危篤だと連絡がありました。
もう1年ぐらい末期の肺がんで闘病生活をしていました。
発見が遅れて半年の命が1年も生きていただけでも奇跡でした、そして余り苦しまずに逝った事が私たち身内にとっては嬉しかったです。
木曜日の朝、祖父が亡くなったと連絡がありました。
その日の昼間に何時もの待ち合わせしているお好み焼き屋さんのママに田中に伝言を残しました。
『チョット用事で今夜は来られない。また、来週ね!』と、お願いした。
ママは
「どうしたの?」
「今、急いでいるから今度来たときに話すね!」
と、言って私は帰りました。
田中の連絡先を聞いてない私にとっては、これ以上の連絡方法を見つける事は出来なかった。
その日の夕方に田中は来て昼間にご飯を食べに来ていた会社の同僚にからかわれた事を憤慨していたと聞きました。
最後に田中は「もう2度と来ない!」と捨て台詞を残して帰ったそうです。
その後、田中とは別の店で1度だけ会いました。
彼とは男女の関係は一切ありません。
彼との出会いは分岐点であり、今後の人生の通過点でした。
The END
初めて来たのは19才の初夏の頃でした。
田中に連れて来られたのが切欠でした。
私が気に入り最後の締めのお店がスナック『W』でした。
田中と最後に会ったのもスナック『W』でした。
チーママ的存在のやっちゃんが田中との最後の機会を作ってくれました。
田中が夕方よく行っていた立ち飲み屋さんに出勤前に顔を出して見つけてくれました。
最初はマスターとやっちゃんの2人で店を切り盛りしていました。
実質はマスターとは名ばかりで殆どがやっちゃん1人で頑張っていました。
田中と遊ばなくってから、3ヶ月たった頃にマキがきました。
マスター・やっちゃん・マキが私の行っていた時の従業員かな?
私の人生に関わっていく人物です。
そして、今後の人生に大きく関わってくる人物「明雄」「Kちゃん」との出会いの場所でもあります。
スナック『W』が無かったら私の人生は大きく違った人生を歩んでいた事でしょう。
私にとっては忘れることの出来ない人物の一人です。
セカンドキスの相手なのです。
同性では彼女とのキスがファーストキスなのです。
彼女の事が好きでしたから問題はないのですが行き成りでしたので・・・
心の準備が出来てなくて・・・
それに初回から濃厚なディープキスを頂きました。
ファーストキスの相手の記憶のない私にとっては複雑な気持ちです。
母の言うことには幼い時に奪われているとの事です。
全くと言うほど記憶に御座いません。
一様ですが異性のだった様です。
普段、酔うとキス魔になる彼女
酔うと必ずといっていいほど
「海苔Pキスしょ!」
と、言ってくる彼女に私は
『やだ~!』
『恥ずかしい!』
『後でね!』
『その内にね!』
と、言いながら、かわし続けていました。
あの日の彼女は酔ってなかったのに・・・
カウンターに8席とボックス席が2席での縦長の小さなお店です。
お店の出入り口があってトイレがあってカウンターの出入り口があります。
カウンターがL字になっていて、その奥にボックス席があります。
カウンターの出入り口の少し先にトイレがあります。
カウンターの出入り口の後ろに、おしぼりの保温器が置いてあります。
何時の様に8時過ぎに、お店に行って飲んでいたのです。
その日はカウンターの出入り口側の端に一人一つ空けて私が座り、その横に仲の良い常連さんが座って、また一つ空けて二人連れのお客さんでした。
彼女はカウンター出入り口のお客さんの相手をしていました。
私は常連さんとマスターと話をしていました。
2時間ほど経ってトイレに行きたくなって席を立ちました。
すると彼女が保温器に手をかけながら
「海苔P、トイレか?」
「うん!」
と、返事をすると同時に、おしぼりをカウンターの端に置く
ここまでは何時もと同じ行動
普段はトイレから出るとカウンターの出入り口に彼女が居て、おしぼりを貰って手を拭きながら席に戻ります。
To be continued...